行ったらしく、店の者も今まで気が付かなかったというのである。時が時だけに、お才は一種の不安を感じて、居間のそこらを取り調べると、果たして一通の書置が発見された。それはお才に宛てたもので、自分の不心得を詫びた上に、与兵衛と相談して後の事はよろしく頼むと簡単に書いてあった。
 やがて与兵衛も帰って来て、この書置を見せられて驚いた。取りあえず店の者を諸方へ走らせて心あたりを探させたが、多左衛門の消息は判らなかった。多左衛門は一体なんのために家出したのか。一家の主人たるものが女房や番頭に申し訳なさの家出は、あまり気が狭過ぎるように思われるので、更に家内を取り調べると、かねて貯えてあるたくさんの絵馬のうちで、かの正雪の絵馬一枚が紛失していた。彼がその絵馬をかかえて家出したらしいのは、裏口の井戸ばたに洗濯物をしていた女中の証言によって推定された。長さ二、三尺の額《がく》のような物を風呂敷につつんで、小脇にかかえて出てゆく旦那様のうしろ姿を見ましたと、女中は云った。
 女中や番頭らに対して面目ないという意味も多少はまじっていたかも知れないが、多左衛門が家出の真意は、かの絵馬に対する根強い愛惜であることが想像された。万次郎の運動によって、たとい此の事件が無事に納まるとしても、絵馬を掏り換えたままにして置くことは出来ない。こうなった以上は、どうしても本物を元へ戻さなければならない。それが彼に取っては忍び難い苦痛であるので、結局かれは家を捨て、妻を捨て、さらに我が身をほろぼすをも顧《かえり》みないで、かの絵馬を抱いて姿を隠したのであろう。つまり一種のマニアである。この時代でも、余り物に凝り過ぎると馬鹿か気違いになると云ったのであるが、多左衛門も絵馬の道楽に凝り過ぎて、殆ど気違いのようになってしまったらしい。余りのあさましさに云うべき言葉もなく、お才も与兵衛も顔をみあわせて溜め息のほかは無かった。
 その日が暮れると、約束の通りに万次郎が来た。与兵衛は主人の家出の事情を打ち明けて、そのありかの知れるまでは運動費の二千両を渡しかねるから、暫く猶予してくれと懇願すると、万次郎はそれを信じなかった。家内の者が共謀して、主人をどこへか隠したのであろうと彼は邪推した。
「ゆうべも番頭に云った通り、おれは親切ずくで働いているのだ。それ無《む》にして、変な小細工をするなら、おれはもう手を引くからそう思
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