のやきもちから椿事|出来《しゅったい》して、只今お話し申したような手続きになったんです」
「宗兵衛はどうしました」
「宗兵衛は女房をなだめて、一緒に増蔵の家を出て、両国まで帰って来ると、お竹はかねて覚悟をしていたものか、仮橋の中ほどを過ぎた頃に、亭主の隙《すき》をみて不意に川のなかへ飛び込んでしまった。もちろん、蝋燭は自分がしっかりと抱えたままで飛び込んだのですから、宗兵衛も呆気《あっけ》に取られた。そのうちに橋番のおやじが出て来たので、あわてて東両国の方へ引っ返して、河岸《かし》伝いに吾妻橋へ出て、無事に田町の家へ逃げ帰ったんですが、さてどうも気にかかるので、その後も両国へ毎日通って、橋の上から大川を眺めているうちに、とうとうお竹の死骸が引き揚げられて、金の蝋燭の一件が露顕しそうになったので、もううかうかしてはいられないと思って、その晩すぐに支度をして、なんにも知らない女中のお由を置き去りにして、駈け落ちを極めてしまったんです。
わたくしが本所の錺屋へ出張ったのは七日の午過ぎで、宗兵衛はその前夜に飛んでしまったんですから、その間に一日の差があります。どっちの方角へ逃げたかは知らないが、逃げる方は一生懸命だから、一日おくれては容易に追い着かれそうもない。どうしたものかと思案しながら、幸次郎と一緒に錺屋を出て、両国の方へぶらぶら引っ返して来ると、仮橋の中ほどに一人の男が突っ立って、ぼんやりと水をながめている。その年頃や人相風俗が彼《か》の宗兵衛によく似ているので、つかつかと寄って『おい、宗兵衛』と声をかけると、男は二人を見て慌てた様子で、一旦は川へ飛び込もうとしたらしいんですが、夜と違って昼間のことですから、川には石や材木を槙んだ船が幾艘も出ている。人足や船頭も働いている。そこへ飛び込むことも出来なかったと見えて、引っ返して西両国の方へ逃げて行く。二人は追っかけて行く……。逃げる奴は何分にも素人《しろうと》の悲しさ、気ばかり焦《あせ》って体が前へ泳いでいるので、ちょいと蹉《つまず》くとすぐに突んのめる。男が何かにつまずいてばったり倒れたところを、二人がすぐに取り押えました。
それが丁度、橋番の小屋の前でしたから、おやじの久八を呼んで首実検をさせると、毎日この橋の上へ来て大川を眺めていた男は、たしかにこいつに相違ないというので、もう一言もなく恐れ入ってしまいました。
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