そこで、だんだんに調べてみると、宗兵衛は前の晩に田町の家《うち》を出て、東海道を行っては足が付くと思ったので、中仙道を行くことにして、その晩は板橋の女郎屋に泊まったんです。明くる朝、そこからすぐに発《た》てばいいのに、例の宮戸川のお光に未練があるので、もう一度逢って行きたいような気になって、そこから又引っ返して馬道へ来たが、なんだか近所の人達が自分をじろじろ見ているような気がするので、思い切って露路のなかへはいることも出来ず、いっそ日が暮れてから尋ねて行こうと思って、あても無しに其処らをうろ付いているうちに、又なんだか両国の方へ行って見たくなった。多分お竹の魂に引き寄せられたのでしょうと、本人は怪談めいたことを云っていましたが、犯罪者はとかくにそうしたもので、自分に係り合いのある所へわざわざ近寄って、結局破滅を招くことになるのが習いです。宗兵衛もやはり其のたぐいでしょう」
これでこの事件の顛末は判ったが、最後に残っているのは金の蝋燭の問題である。それについて、半七老人はこう説明した。
「旅の男は宗兵衛に縊《くび》り殺されてしまったので、その身許も蝋燭の出所《でどこ》もいっさい判らないんですが、宗兵衛の申し立てに因《よ》って判断すると、その蝋燭は何処かの大名から江戸の役人たちへ贈る品で、その当時は『権門』なぞと云いましたが、つまりは一種の賄賂です。表向きは金をやるわけにも行かないので、菓子折の底へ小判を入れたり、金銀の置物をこしらえたり、いろいろの工夫《くふう》をするのが習いでしたから、この蝋燭も一つの新工夫で、おそらく九州辺の大名が国産の蝋燭を進上するなぞと云って、金の伸べ棒入りの蝋燭を持ち込む積りであったのだろうと思われます。そこで、その進物《しんもつ》を国許から江戸へ送って来るには、もちろん相当の侍も付いているに相違ありませんが、その供の者、すなわち中間どもの中に良くない奴があって、事情を知って一と箱ぐらいを盗み出し、それを抱えて途中から逐電《ちくてん》したらしい。ほかに同類があったかどうだか知りませんが、その男は江戸へむかって逃げるのは危険だと思って、上方へむかって引っ返す途中、金谷の宿《しゅく》で急病が起った為に、とうとう宗兵衛の手にかかって、日坂峠の秋の露、消えて果敢《はか》なくなりにけりという事になったんでしょう。今更ではないが、悪いことは出来ません。
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