半七捕物帳
金の蝋燭
岡本綺堂

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)老婢《ばあや》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)柳原|堤《どて》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)電灯がふっ[#「ふっ」に傍点]と消えた
−−

     一

 秋の夜の長い頃であった。わたしが例のごとく半七老人をたずねて、面白い昔話を聴かされていると、六畳の座敷の電灯がふっ[#「ふっ」に傍点]と消えた。
「あ、停電か」
 老人は老婢《ばあや》を呼んで、すぐに蝋燭を持って来させた。
「行灯《あんどう》やランプと違って、電灯は便利に相違ないが、時々に停電するのが難儀ですね」
「それでもお宅には、いつでも蝋燭の用意があるのには感心しますね」と、わたしは云った。
「なに、感心するほどのことでも無い。わたくしなぞは昔者ですから、ランプが流行《はや》っても、電灯が出来ても、なんだか人間の家に蝋燭は絶やされないような気がして、いつでも貯えて置くんですよ。それが今夜のような時にはお役に立つので……」
 ふた口目にはむかし者というが、明治三十年前後の此の時代に、普通の住宅で電灯を使用しているのはむしろ新らしい方であった。現にわたしの家などでは、この頃もまだランプをとぼしていたのである。新らしい電灯を用いて、旧《ふる》い蝋燭を捨てず、そこに半七老人の性格があらわれているように思われた。
 こんにちと違って、そのころの停電は長かった。時には三十分も一時間も東京の一部を闇にして、諸人を困らせることがあった。今夜の停電も長い方で、主人も客も夜風にまたたく蝋燭の暗い火を前にして、暫く話し続けているうちに、その蝋燭から縁を引いて、老人は「金の蝋燭」という昔の探偵物語をはじめた。
「御承知の通り、安政二年二月六日の晩に、藤岡藤十郎、野州無宿の富蔵、この二人が共謀して、江戸城本丸の御金蔵を破って、小判四千両をぬすみ出しました。この御金蔵破りの一件は、東京になってから芝居に仕組まれて、明治十八年の十一月、浜町《はまちょう》の千歳座《ちとせざ》で九蔵の藤十郎、菊五郎の富蔵という役割でしたが、その評判が大層いいので、わたくしも見物に行って、今更のように昔を思い出したことがありました。その安政二年はわたくしが三十三の年で、云わば男の働き盛りでしたから、この一件
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