が耳にはいると、さあ大変だというので、すぐに活動を始めたんです。勿論、わたくしばかりじゃあない、江戸じゅうの御用聞きは総がかりです。八丁堀の旦那衆もわたくし共を呼びつけて、みんなも一生懸命に働けという命令です。その時代のことですから、御金蔵破りなどということは決して口外してはならぬ、一切秘密で探索しろというのですが、人の口に戸は立てられぬの譬えの通りで、誰の口からどう洩れるものか、その噂はもう世間にぱっと広まっていました」
その年の四月二日の夜も、やがて四ツ(午後十時)に近い頃である。両国橋の西寄りに当って、人の飛び込んだような水音が響いたので、西両国の橋番小屋から橋番のおやじが提灯をつけて出た。両国橋は天保十年四月に架け換えたのであるが、何分にも九十六間の長い橋で、昼夜の往来も繁《はげ》しい所であるから、十七年目の安政二年には所々におびただしい破損が出来て、人馬の通行に危険を感じるようになったので、ことしの三月から修繕工事に取りかかることになって、橋の南寄り即ち大川の下流《しもて》に仮橋が作られていた。その仮橋から何者かが飛び込んだらしいのである。
夜は暗く、殊に細雨《こさめ》が降っている。一方には橋の修繕工事用の足場が高く組まれている。それに列んで仮橋が架けられている、木材や石のたぐいを積み込んだ幾艘かの舟も繋がれている。その混雑のなかで、橋の上から提灯を振り照らしたぐらいの事ではどうなるものでも無い。結局はなんの発見も無しに終った。
橋番は多年の経験で、その水音が何であるかを知っていた。それは重い物を投げ込んだのではなく、人間が飛び込んだか、或いは投げ込まれたに相違ないと云った。但し暗夜のことであるから、不完全の仮橋から何か粗相で墜落したのかも知れない。いずれにしても、男か女か、その人間のゆくえは判らなかった。
それから六日目の朝である。神田三河町の半七の家の裏口から、子分の幸次郎が眼をひからせながらはいって来た。
「お早うございます。早速ですが、親分、両国の一件を聴きましたかえ」
「両国の一件……。四、五日前の晩に誰か落ちたというじゃあねえか。あの長げえ仮橋のまん中に、提灯一つぶら下げて置くだけじゃあ不用心だ」と、半七は顔をしかめた。「そこで、その死骸でも揚がったのか」
「まあ、揚がったようなわけで……。実はきのうの午《ひる》すぎに、何かの仕事の都合
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