をあらし廻るのは此の頃の流行で、麻疹《はしか》と浪士は江戸の禁物《きんもつ》であった。勿論、そのなかにはほんとうの浪士もあったであろうが、その大多数は偽《にせ》浪人の偽攘夷家で、質《たち》のわるい安御家人の次三男や、町人職人のならず者どもが、俄か作りの攘夷家に化けて、江戸市中を嚇《おど》しあるくのであった。おなじ押借りのたぐいでも、攘夷のためとか御国の為とか云えば、これに勿体《もったい》らしい口実が出来るので、小利口な五右衛門も定九郎もみんな攘夷家に早変りしてしまった。しかし相手の方もだんだんその事情を知って来たので、この頃では以前のように此の攘夷家をあまり恐れないようになった。いわゆる攘夷家も蝙蝠安《こうもりやす》や与三郎と同格に認められるようになって来た。丸井の番頭長左衛門が割合いにおちつき払っていたのも、やはり彼等を見縊《みくび》っていたからであった。
しかしそれが勘ちがいであったことを、番頭も初めて発見した。かれらはいわゆる攘夷家の群れではなくて、ほんとうの攘夷家であるらしかった。彼等は口のさきで紋切り型の台詞《せりふ》をならべるのでは無くて、生きた証拠をたずさえて飛び込んで
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