がほんとうの異人の髪の毛であるか、あるいは何かの薬か絵の具で染めたものであるか、それを確かめた上でなければ、どうにも見当のつけようがなかった。
半七はあくる朝、八丁堀同心の屋敷をたずねて、神田と深川の出来事を報告した。世の中のみだれている江戸の末であるから、それがほん者の攘夷家か偽浪士か、八丁堀の役人たちにも容易に判断をくだすことが出来なかった。いずれにしても半七の意見に付いて、まずその髪の毛を鑑定させることになって、ある蘭法医のところへ送って検査させると、それは日本人の毛髪を薬剤や顔料で染めたものではないらしい。さりとて獣《けもの》の毛でもない。おそらく異人の毛であろうという鑑定であった。
例の偽浪士がどこかの墓をあばいて、死人の首を取り出して、その髪の毛を塗りかえるか、あるいは一種の鬘《かつら》をかぶせて、顔もいい加減に化粧して、異人の首らしく巧みにこしらえて、それを抱えてあるいているのではないかと半七も初めは疑っていたのであるが、果たしてほんとうの異人の毛であるとすれば、かれも更にかんがえ直さなければならなかった。しかしこの当時、江戸に在住の異人は甚だ少数である。公使領事のほかには二、三の書記官や通辞《つうじ》があるばかりで、アメリカは麻布の善福寺、フランスは三田の済海寺、オランダは伊皿子の長応寺、プロシャは赤羽の接遇所、ロシアは三田の大中寺に、公使館または領事館を置いてあるが、これらは幕府に届け出でのあるもので、そこに住む者の姓名もみな判っている。そのなかの一人が首を取られたとすれば、すぐにも知れる筈である。かれらの方でも黙っている筈がない。かのヒュースケンの暗討《やみう》ち一件をみても判ったことで、彼等からは幕府にむかって厳重の掛け合いを持ち込んでくるに相違ない。それが今に至るまでなんの音沙汰もないのをみれば、その首の持ち主が江戸在住のものでないことは容易に想像された。
「それじゃあ横浜《はま》かな」
半七は自分の意見をのべて、奉行所の許可をうけて、その月の二十一日に江戸を出発することになったので、お粂は兄嫁を花見に誘い出すどころではなかった。却《かえ》って自分が神田三河町の兄の家へ見送りに来なければならなくなった。横浜までわずかに七里と云っても、その頃ではやはり一種の旅であった。
「兄さん。御機嫌よろしゅう。途中も気をつけてね」
その声をうしろに
前へ
次へ
全18ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング