お玉ヶ池に住んでいた。この辺はむかしの大きい池をうずめた名残《なごり》とみえて、そこらに小さい池のようなものがたくさんあった。其月の庭には蛙も棲んでいられるくらいの小さい池があって、本人はそれがお玉ヶ池の旧跡だと称していたが、どうも信用が出来ないという噂が多かった。かれはその池のほとりに小さい松をうえて、松下庵と号していたのであるが、その点を乞いに来る者も相当あって、俳諧の宗匠としては先ず人なみに暮らしていた。
弘化三年十一月のなかばである。時雨《しぐれ》という題で一句ほしいような陰《くも》った日の午《ひる》すぎに、三十四五の痩せた男が其月宗匠の机のまえに黒い顔をつき出した。
「おまえさんに少しお願いがあるんですがね」
かれは道具屋の惣八という男で、掛物や色紙短冊《しきしたんざく》も多年取りあつかっている商売上の関係から、ここの家の門《かど》を度々くぐっているのであった。其月は机の上にうずたかく積んである俳諧の巻をすこし片寄せながら微笑《ほほえ》んだ。
「惣八さんのお願いでは、また何か掘り出しものの売り込みかね。おまえさんの物はこのごろどうも筋が悪いといって、どこでも評判がよくない
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