名乗った若い旅絵師は、伝兵衛の一行に加わることになった。道連れといっても、これは自分の娘の命を救ってくれた恩人であるから、伝兵衛主従も決して彼を疎略には扱わなかった。
 その晩は小山の宿《しゅく》に泊まったが、旅籠《はたご》賃その他はすべて伝兵衛が賄《まかな》った。これから幾日もつづく道中に、それではまことに困ると澹山はしきりにことわったが、伝兵衛はどうしても肯《き》かなかった。あくる晩は宇都宮に着いたが、その翌日も午《ひる》すぎまでここに逗留して、伝兵衛は澹山を案内して二荒《ふたら》神社などに参詣した。その後の道中も、毎晩の宿はかなりの上旅籠で、澹山はなんの不自由もなしに奥州路にはいった。

     二

 この年は正月から照りつづいて江戸近国は旱魃《かんばつ》に苦しんだと伝えられているが、白河から北にはその影響もなくて、五月の末には梅雨《つゆ》らしいしめり勝ちの暗い天気が毎日つづいた。この雨にふり籠められたばかりでなく、旅絵師の澹山は千倉屋の奥の離れ座敷に閉じ籠って、当分は再び草鞋《わらじ》を穿《は》きそうもなかった。
 その頃の旅絵師といえば、ゆく先々で自分の絵を売って、それを
前へ 次へ
全38ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング