ゆる》すものか」と、伝兵衛は再びおごそかに云った。「ついては先生。こういうことになりましては、又どんな御迷惑が出来《しゅったい》して、自然あなたの御身分が露顕するようなことが無いとも限りません。御用も大抵お片付きになったようでござりますから、雪のやむのを待たずに一日も早く御発足《ごほっそく》なさるようにお勧め申します。しかしこの領分ざかいを越えましたなら、きょうから数えて二十一日、娘の三七日《さんしちにち》の済むまでは、どうぞ其処に御逗留なさるように願います。きっと何かあなたのお耳にはいることがござりましょう」
 餞別の金や土産《みやげ》などをたくさん貰って、澹山はおげんの葬式のすんだ翌日に千倉屋を出発した。これがもうこの春の名残りらしい細かい雪が、けさも彼の笠の上にちらちらと降っていた。伝兵衛も伝四郎も町はずれまで送って来た。千倉屋の若い者二人は彼の警固をかねて領ざかいまで附き添って来た。
 隣国の他領へはいって、千倉屋から指定された宿屋に草鞋《わらじ》をぬいで、澹山は約束の三週間をここに逗留することになった。三月も半ばになって、ここらの雪もあたたかい春の日にだんだん解けはじめた頃に
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