ていた。
「先生。お寂しゅうござりましょう」
柴栗の焼いたのを盆に盛って、おげんは行燈《あんどう》の前にその白い顔を見せた。奥州の夜寒に※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]《こおろぎ》もこの頃は鳴き絶えて、庭の銀杏《いちょう》の葉が闇のなかにさらさらと散る音がときどきに時雨《しぐれ》かとも疑われた。娘は棚から茶道具をとりおろして来て、すぐに茶をいれる支度にかかった。
「いや、もう毎晩のこと、決してお構いくださるな」と、澹山は書きかけていた日記の筆を措《お》いて見かえった。「お父さんはどうなさった。きょうは一日お目にかからなかったが……」
「父は午《ひる》から出ましてまだ戻りません。今夜は遅くなるでございましょう」
伝兵衛は囲碁が道楽で、ときどき夜ふかしをして帰ることは澹山も知っているので、別にそれを不思議とも思わなかった。
「兄さんは……」
「兄も父と一緒に出ました」
おげんは茶をすすめて、更に柴栗を剥《む》いてくれた。その白い指先をながめながら澹山はしずかに訊《き》いた。
「御用人の御子息はその後御催促には見えませんか」
「はい」
「どうも思うように出来ないので甚だ延引、
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