。こうして一家の人々から款待《かんたい》されて、澹山の方でもひどく喜んで、自分の居間として貸して貰った離れ座敷を画室として、ここでゆっくりと絵絹や画仙紙をひろげることになると、伝兵衛も自分の家の屏風や掛物は勿論、心安い人々をそれからそれへと紹介して、澹山のために毎日の仕事をあたえてくれた。それらの仕事に忙がしく追われながら、六七八の三月《みつき》はいつか過ぎて、ここらでは雪が降るという九月の中頃になった。
この三月のあいだには別に記《しる》すべき事もなかった。ただ彼《か》の澹山が諸方から少なからず画料を貰って、その胴巻がよほど膨《ふく》れて来たのと、娘のおげんと特に親しみを増したのと、この二ヵ条のほかには何事もなかった。しかし、娘の問題は若い旅絵師に取ってすこぶる迷惑の筋であるらしかった。娘は自分の恩人という以上に澹山を鄭重《ていちょう》に取り扱った。かれが朝夕の世話は奉公人どもの手を借らずに、娘が何もかも引き受けていた。その親切があまりに度を過ぎるのを澹山は内心あやぶみ恐れていながらも、むやみにここを立退《たちの》くことの出来ない事情もあるらしく、迷惑を忍んで千倉屋の奥にうずくまっ
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