が、火事の騒ぎで逃がしたのであった。店は焼かれる。看板の熊には逃げられる。おまけにその熊が大勢の人を傷つけたというので、父娘《おやこ》は後難を恐れて、どこへか影をかくしたと伝えられた。
しかしその熊の死骸はどうなったか判らなかった。
三
それから二、三日の後に、備前屋では車湯の勘蔵に十両の見舞金を贈ったということを半七は聞いた。
夫婦や娘たちは橋場の親類から戻って来たが、娘のお絹は火事の騒ぎにあまり驚かされたので、その以来はどうも気分が悪いと云って床《とこ》に就いている。そうして、ときどき熱の加減か囈言《うわごと》のように、「あれ、熊が来た」などと口走るので、家内の者も心配しているとのことであった。その時代では大金という十両の見舞金を貰って、療治がよく行き届いたせいか、勘蔵の腕の痛みどころもだんだんに快《よ》くなるという噂を聞いて、半七も蔭ながら喜んでいた。
そのうちに今年の春もあわただしく過ぎて、初鰹《はつがつお》を売る四月になった。その月の晴れた日に勘蔵が新らしい袷を着て、干菓子の折《おり》を持って、神田三河町の半七の家へ先ごろの礼を云いに来た。
「どうだね、
前へ
次へ
全35ページ中16ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング