ままで行ってしまったんだが、その死骸はどうしたろう。犬や猫とは違うんだから、むやみに取り捨ててもしまわねえだろうが、誰が持って行ったかしら。品川辺の奴らかな」
「そうでしょうね」と、松吉もうなずいた。「品川とばかりは限らねえ。世間には慾の深けえ奴が多いから、何かの金にする積りで、どさくさ[#「どさくさ」に傍点]まぎれに引っ担《かつ》いで行ったかも知れませんよ。一体あの熊はどこから出て来たのでしょうね」
「それは判らねえ。江戸のまん中にむやみに熊なんぞが棲《す》んでいる訳のものじゃあねえ。どこかの香具師《やし》の家にでも飼ってある奴が、火におどろいて飛び出したんだろう。伊豆屋でさっき聞いたんじゃあ、あの熊のために二十人からも怪我をしたそうだ。こんな噂はとかく大きくなるもんだが、話半分に聞いても十人ぐらいは飛んだ災難にあったらしい。馬鹿なことがあるもんだ」
その日はそれで帰ったが、熊の噂はだんだんに高くなった。それは麻布の古川《ふるかわ》の近所に住んでいる熊の膏薬屋が店の看板代りに飼って置いたものであることが判った。膏薬屋は親父とむすめの二人暮しで、自分の子のようにその熊を可愛がっていた
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