告げで、今後百日のあいだは我が姿を人に見せるな、その間にわざわいの日は過ぎてしまうとのことであったと、善昌は説明した。そうして引きつづいて護摩を焚き、祈祷を行なっていたのであるが、それから三日と過ぎ、四日と経つうちに、誰が云うともなしにこんな噂がまた伝わった。
「御戸帳のなかは空《から》だ。弁天様はなくなってしまったらしい」
信者のなかでも有力の三、四人がその噂を気に病んで、諸人のうたがいを解くために、たとい一と目でもいいから御戸帳の奥を覗かせてくれと交渉したが、善昌は頑として肯《き》かなかった。本尊の秘仏を厨子《ずし》に納めて、何人にも直接に拝むことを許さない例は幾らもある。おまえ方のうちに浅草観世音の御本体を見た者があるか、それでも諸人は渇仰《かつごう》参拝するではないか。百日のあいだは我が姿を人にみせるなというお告げにそむいて、みだりに奥をうかがう時は、仏罰によって眼が潰れるか、気が狂うか、どんなわざわいを蒙らないとも限らない。おまえ方はおそろしい禍いを避けるために、護摩を焚き、祈祷を行なっていながら、却って仏罰を蒙るようなことを仕出かして、どうする積りか。尊像のあるか無いかは
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