蝶の最も出盛ったのは、朝の四ツ時(午前十時)頃から昼の八ツ時(午後二時)頃までで、八ツを過ぎるころから無数の蝶の群れもだんだんに崩れ出して、鐘撞堂のゆう七ツ(午後四時)がきこえる頃には、消えるように何処へか散り失せてしまった。水に落ちたものは流れもあえずに、夏の日の暮れ果てるまで竪川を白く埋めて、涼みがてらの見物を騒がせていたが、あくる朝は一匹もその姿をとどめなかった。
「弁天さまのお告げに嘘はない。おそろしいことでござります」
 善昌は再び信者たちに云い聞かせた。信者たちももう疑う余地はないので、善昌と相談の上で、七月の朔日《ついたち》から盂蘭盆《うらぼん》の十五日まで半月の間、弁天堂で大護摩《おおごま》を焚くことになった。護摩料や燈明料は云うまでもなく、そのほかにもいろいろの奉納物が山のように積まれた。
 こうして、はじめの七日は無事に済んだが、たなばた祭りもきのうと過ぎた八日の朝になって、善昌は突然に仏前の御戸帳《みとちょう》をおろした。今までは何人《なんぴと》にも拝ませていた光明弁天の尊像をむらさきの帳《とばり》の奥に隠してしまったのである。これは夢枕に立った弁財天のお
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