そうもないのと、また執念ぶかく追いまわす必要もないのとで、七兵衛は先ず足もとに叩き落された提灯を拾おうとして、身をかがめながら暗い地面を探っている時、どこから現われたのか、一つの黒い影がつかつかと走って来て、声もかけないで彼の屈《かが》んでいる左の脇腹を突こうとした。その足音に早くも気のついた七兵衛は、小膝をついて危く身をかわしたので、槍の穂先はがちりと土を縫った。その柄《え》をつかんで起き直ろうとすると、相手はすぐに穂をぬいて、稲妻のような速さで二の槍をついて来た。これも危く飛びこえて、七兵衛はようようまっすぐに起きあがると、槍はつづいて彼の腹か股のあたりへ突きおろして来たが、どれも幸いに空《くう》をながれて彼の身には立たなかった。
「御用だ」
もう堪まらなくなって声をかけると、相手はすぐに槍を引いて、暗いなかを一散に逃げてしまった。猫の眼をもたない七兵衛は、彼の姿をなんにも認めなかったのを残念に思ったが、自分に怪我《けが》のなかったのをせめてもの幸いにして、落ちた提灯をようように探しあてた。商売柄で夜は身を放さない燧《ひうち》袋から燧石を出して、折れた蝋燭に火をつけてそこらを照ら
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