ている鷹よりも鋭い眼をひからせて、江戸の市民を睨みまわして押し歩いていた。
かれらが野外へお鷹馴らしに出る場合には、多くその付近の遊女屋に一泊するのを例としていた。よし原と違って、新宿や品川には旅籠屋《はたごや》に給仕の女をおくという名義で営業しているのであるから、かれらの宿泊を拒《こば》むわけには行かない。それが一種の弱い者いじめであって、一旦かれらを宿泊させた以上は、ほかの客を取ることを許さないのである。三味線や太鼓は勿論、迂濶《うかつ》に廊下をあるいても、お鷹をおどろかしたという廉《かど》で厳しく痛め付けられるのであるから、家中《うちじゅう》の者は息を殺して鎮まり返っていなければならない。したがって、その一夜は営業停止である。どんな馴染み客が来ても断わるほかはない。それは遊女屋に取って甚だしい苦痛であるので、せいぜい彼等を優遇した上に、ある場合には幾らかの「袖の下」をも遣《つか》って、大抵のことを見逃がして貰うのである。その厄介きわまる御鷹匠三人が品川の丸屋に泊り込んだ夜に、一つの椿事が出来《しゅったい》した。
三人の鷹匠は光井金之助、倉島伊四郎、本多又作で、いずれもまだ二十一二の若い者であるので、丸屋の方でも心得ていて給仕としてお八重、お玉、お北という三人の抱妓《かかえ》を出した。そのなかで一番|容貌《きりょう》のいいお八重が金之助のそばに付いていることになった。金之助も三人の鷹匠のなかでは一番の年下で、男振りも悪くない、おとなしやかな男であった。普通の客とは違うので、女達もせいぜい注意して勤めていたが、そのなかでもお八重は特別に気をつけて若い鷹匠を歓待した。御鷹匠といえば一概に恐ろしいもののように考えていたお八重は、案外に初心《うぶ》でおとなしい金之助を憎からず思ったらしい。こうして、仲よく一夜を明かしたが、朝になって三人が帰り支度をしている間に、お八重と金之助とが何かふざけ出したらしく、女は男を打《ぶ》ったり叩いたりしてきゃっきゃっと笑った。いつもの云いがかりとは違って、それがほんとうに大切の鷹を驚かしたらしく、俄かに羽搏《はばた》きをあらくした鷹はその緒を振り切って飛び起《た》った。丸屋は宿の山側にある家《うち》で、あいにくお八重の座敷の障子が明け放されていたので、鷹はそのまま表へ飛び去ってしまった。
不意の出来事におどろかされて、二人はあれあれ
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