《おおやま》へ登った時のような元気はねえよ」と、半七は寝ころびながら笑った。
「時に親分。わっしは先刻《さっき》ここの風呂へ行く途中で変な奴に逢いましたよ」
「誰に逢った」
「なんという奴だか知らねえんですけれど、なんでも堅気《かたぎ》の人間じゃありません。どこかで見た奴だと思うんだが、どうも思い出せないので……。なにしろ廊下で私に逢ったら、あわてて顔をそむけて行きましたから、むこうでも覚ったに相違ありません。あんな奴が泊っているようじゃあ、ちっと気をつけなけりゃあいけませんぜ」と、多吉は仔細らしくささやいた。
「まさか、胡麻《ごま》の蠅《はえ》じゃあるめえ」と、半七はまた笑った。「小博奕《こばくち》でも打つぐらいの奴なら、旅籠屋へきて別に悪いこともしねえだろう。道楽者は却って神妙なものだ」
 こっちが気にも留めないので、多吉もそれぎり黙ってしまった。四ツ(午後十時)頃に床をしかせて、二人は六畳の座敷に枕をならべて寝ると、その夜なかに半七はふと目をさました。
「やい、多吉。起きろ、起きろ」
 二、三度呼ばれて、多吉は寝ぼけまなこをこすった。
「親分。なんです」
「なんだか家《うち》じゅ
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