らで、東から来た旅人は小田原にとまり、西から来た人は三島に泊って、あくる日に箱根八里の山越しをするというのが其の当時の習いであった。そうして、小田原を発《た》ったものは三島にとまり、三島を発った者は小田原に泊ることになるので、東海道を草鞋であるくものは、否が応でもこの二つの駅に幾らかの旅籠銭《はたごせん》を払って行かなければならなかった。関所を越える旅ではないが、半七もやはり小田原に泊って、あくる日湯本の宿《やど》をたずねて行こうと思っていた。
道草を食いながらぶらぶらあるいて来たので、二人が宿へ着いたのはもう六ツ半(午後七時)頃であった。風呂へはいって来ると、女中がすぐに膳を運び出した。半七は下戸《げこ》であるが、多吉は飲むので、二人の膳のうえには徳利が乗っていた。多吉の附き合いに二、三杯飲むと、もう半七はまっ赤になって、膳を引かせると、やがてそこへごろりと横になってしまった。
「親分、くたびれましたかえ」と、多吉は宿から借りた紅摺《べにず》りの団扇《うちわ》で、膝のあたりの蚊を追いながら云った。
「むむ。あんまり道草を食ったので、ちっとくたびれたようだ。意気地がねえ。おとどし大山
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