呼びかけられて、按摩はおびえたように立ち停まったが、きょうも何か頻《しき》りに云い訳して摺り抜けて行こうとするのを女はまた曳き戻した。こうした捫着《もんちゃく》がたびたび続くので、半七も少しおかしく思って、もうつくろってしまった泥下駄を再びいじくるような風をして横眼でそっと窺っていると、按摩はあくまでも強情に振り切って、きょうも逃げるように此処を立ち去ってしまった。
「ほんとうにしようのない人だねえ」
 口小言を云いながら女は内へ引っ込んだ。そのうしろ姿の消えるのを見送って、半七はもう五、六間ゆき過ぎている按摩の傘の白い影を追った。彼はうしろから声をかけた。
「おい、按摩さん。徳寿さん」
「はい、はい」
 聞き慣れない声に按摩は少し首をかしげて立ち停まると、半七は傘をならべて立った。
「徳寿さん。寒いね。べらぼうに降るじゃあねえか。おまえにゃあ廓《なか》で二、三度厄介になったことがあったっけ。それ、このあいだも近江屋の二階でよ」
「はあ、左様でございましたか。年を取りますと、だんだんに勘がわるくなりまして、御贔屓様に毎々失礼をいたして相済みません。旦那もこれから廓へお出かけでございます
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