らしく、かれはお倉の右の頬を引っ掻いて逃げた。お倉は二、三間追っ掛けて行ったが、足の早い彼はどこへか姿を隠してしまった。
「化け物なんて嘘です。たしかに人間ですよ。暗くって判りませんでしたけれど、何でも十六七ぐらいの男でした」と、お倉は云った。気丈な彼女の証言によって、化け物の正体はいよいよ人間ときめられたが、さてそれが何者であるかは判らなかった。
 併し人間ときまれば又それを取り押える方法もあると、町役人どもは自身番に集まって、その悪戯者を狩り出す相談をしていると、ここへ又新しい不思議な報告が来た。それはお倉が曲者に出会ってから半時ほどの後であった。さきに干物を攫《さら》われた印判屋の台所の上で、なにかごとごとという音がきこえたので、おおかた猫か鼠だろうと思った女房は、台所へ出てしっしっと追ったが、屋根のうえの物音はまだ止まなかった。このあいだの一件に驚かされている彼女はぞっ[#「ぞっ」に傍点]としたが、それも怖い物見たさの好奇心から、引窓の引き綱を解いてそろそろと明けた。その途端になにを見たか、彼女はきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と云って奥へころげ込んだ。
 彼女がふるえながら話すと
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