内の灯はもう目の前に見えた。
 隣り町との町境に土蔵が二つ列んでいるところがあって、それに続いて材木屋の大きい材木置場があった。前後の灯のかげはここまで届かないので、十間あまりの間には冬の夜の闇が漆《うるし》のように横たわっていた。自分の町内にはいるお倉は、どうしてもこの闇を突っ切って行かなければならなかった。この間の晩、煙草屋の娘が災難に逢ったのも此の辺だろうと思いながら、彼女は婆さんを急《せ》き立てて歩いてくると、積んである材木のかげから犬のようなものが這い出した。
「おや、なんだろう」
 よぼよぼしている婆さんを引っ張っているので、お倉はすぐに逃げ出すわけにも行かなかったが、気丈な彼女は闇の底をじっと透かしてその正体を見定めようとする間もなく、怪しい物は背をぬすむように身を伏せて来て、いきなりお倉の腰に取り付いた。
「何をしやあがる」
 一度は手ひどく突き退けたが、二度目には帯を取られた。ゆるんだ帯がずるずると解けてゆくので、お倉は少しあわてた。彼女は大きい声で人を呼んだ。婆さんも皺枯れ声をあげて救いを叫んだ。その声を聞き付けて、町内の者が駈けてくる足音に、怪しい物の方でも慌てた
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