一人の男を急に見付け出したらしく、ほかの乗合をかきわけて彼の胸倉を引っ掴んだ。
「やい、この泥坊。よくもおれが大事の商売道具を盗みやがったな。これ、池鯉鮒《ちりゅう》さまの罰があたるぞ」
泥坊と人なかで罵《ののし》られた男も、やはり四十前後の男で、紺地の野暮な単物《ひとえもの》を着ていた。彼はほかの乗合の手前、おとなしく黙っていられなかった。
「なに、泥坊……。飛んでもねえことを云うな。おれが何を盗んだ」
「しらばっくれるな。俺はちゃんとてめえの面《つら》を覚えているんだ。いけずうずうしい野郎だ。どうするか見やあがれ」
御符売りは相手の胸倉を掴んだままで力まかせに幾たびか小突きまわした。男もその手をつかんで捻《ね》じ放そうとした。小さい船はゆれ傾いて女や子供は泣き出した。
「船の中で喧嘩をしちゃあいけねえ。喧嘩なら岸へ着いてからにしておくんなせえ」
船頭は叱るように制した。ほかの乗合の客も口々になだめたので、御符売りはよんどころなしに手をゆるめた。併しまだそのままに済ませそうもない嶮しい顔色で、相手を屹《きっ》と睨み詰めていた。
船が本所の河岸《かし》へ着くと、半七はまずひらり
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