お竹とほかの女中二人がおどろいて駈けつけた時に、縁側へするりと抜け出してゆくお菊のうしろ姿が見えた。お菊はやはり黄八丈を着て、藤色の頭巾をかぶっていた。
 三人はお菊を取押えるよりも、まずおかみさんの方に眼を向けなければならなかった。お寅は左の乳の下を刺されて虫の息で倒れていた。畳の上には一面に紅い泉が流れていた。三人はきゃっ[#「きゃっ」に傍点]と叫んで立ちすくんでしまった。店の人達もこの声におどろいてみんな駈け付けて来た。
「お菊が……お菊が……」
 お寅は微かにこう云ったらしいが、その以上のことは誰の耳にも聴き取れなかった。彼女は大勢が唯うろたえているうちに息を引き取ってしまった。町《ちょう》役人連名で訴えて出ると、すぐに検視の役人が来た。お寅の傷口は鋭い匕首《あいくち》のようなもので深くえぐられていることが発見された。
 家内の者はみな調べられた。うっかりしたことを口外して店の暖簾《のれん》に疵を付けてはならないという遠慮から、誰も下手人《げしゅにん》を知らないと答えた。しかし娘のお菊が居合わせないということが役人たちの注意をひいたらしい。お菊と情交《わけ》のあることを発見され
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