ちから浄瑠璃や踊りの稽古所ばいりを始めて、道楽の果てが寄席の高坐にあがるようになった。彼は落語家《はなしか》の円生の弟子になって千生《せんしょう》という芸名を貰っていたのである。実家が相当の店を張っていて、金づかいも悪くないお蔭に、千生の長之助は前坐の苦を早く抜け出し、芸は未熟ながらも寄席芸人の一人として、どうにか世間を押廻しているのであった。
 千生はことし二十三で、男振りもまず中くらいであるが、磨いた顔を忌《いや》にてかてかと光らせて、眉毛を細く剃りつけ、見るから芸人を看板にかけているような気障《きざ》な人体《じんてい》であったが、工面《くめん》が悪くないので透綾《すきや》の帷子《かたびら》に博多の帯、顔ばかりでなしに身装《みなり》も光っていた。
「もう遅いぜ。内でこしらえた人は格別、店で買おうという人は、みんな七つ起きをして押掛けているくらいだ。今から行ったって間に合うめえ。お気の毒だがお熊ちゃん、遅かりし由良之助だぜ。」
「そうでしょうねえ。」と、お熊はまじめでうなずいた。「実は今戸の方へ行って断られたんですよ。」
「そうだろう。今頃どこへ行っても売切れさ。いずこも同じ秋のゆう
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