ぐれで仕方がないね。」
「でも、まあ、念のために行ってみましょう。」
 別れて行こうとするお熊を、千生は又よび留めた。
「いや、お若けえの、待って下せえやし。と、長兵衛を極《き》めるほどの事でもねえが、見すみす無駄と知りながら、汗をたらして韋駄天《いだてん》は気の毒だ。ここに一つの思案あり。まあ聞きたまえ。」と、彼は芝居気取りでお熊の耳にささやいた。
 と、いっても、それは差したる秘密でもなく、これから方々の菓子屋や餅屋をさがして歩くまでもなく、わたしの家《うち》へ行って訊いてみろ。まだ食い残りがある筈であるから、そのわけを話して師匠とおまえの二人分を貰って来いというのであった。
 前にもいう通り、千生の家は小料理屋で母のお兼のほかに料理番や女中をあわせて六、七人の家内であるから、きょうの牡丹餅も相当にたくさん拵《こしら》えたのである。千生はそのお初を食って直ぐに出たのであるから、早く行けば幾らか分けてもらえるに相違ない。急げ、急げと千生は再び芝居がかりで指図した。
「ありがとうございます。では、そうしましょう。」
 お熊はよろこんで駈けて行った。千生は一体どこへ行くつもりであったのか
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