もあったろう。内所《ないしょ》で書いていた長い手紙には、遣瀬《やるせ》ない思いの数々を筆にいわしていたかも知れない。彼女が陰《くも》った顔をしているのも無理はなかった。そんなこととは知らない私は、随分大きな声で彼女を呼んだ。遠慮なしに用をいい付けた。私は思い遣《や》りのない主人であった。
それでも彼女は幸《さいわい》であった。彼女が奉公替をしたということを故郷へ知らせて遣った頃から、両親の心も和らいだ。子まで生《な》したものを今更どうすることも能《でき》まいという兄たちの仲裁説も出た。結局彼女を呼び戻して、男に添わして遣ろうということになった。そう決ったらば旧の盂蘭盆《うらぼん》前に嫁入させるが土地の習慣《ならわし》だとかいうので、二番目の兄が俄《にわか》に上京した。おたけは兄に連れられて帰ることになったのである。
勿論、暇《いとま》をくれるという話さえ決れば、代りの奉公人の来るまでは勤めてもいいとのことであったが、私たちはいつまでも彼女を引止めておくに忍びなかった。嫁入仕度《よめいりじたく》の都合などもあろうから直《すぐ》に引取っても差支《さしつかえ》ないと答えた。彼女は明《あく》る日《ひ》の午後に去った。
去る時に彼女は二階へ上って来て、わたしの椅子《いす》の下に手を突いて、叮寧《ていねい》に暇乞《いとまご》いの挨拶をした。彼女は白粉《おしろい》を着けて、何だか派手な帯を締めていた。
「私の方ではもっ[#「もっ」に傍点]と奉公していてもらいたいと思うけれども、国へ帰った方がお前のためには都合がいいようだから――。」
私が笑いながらこういうと、彼女は少しく頬を染めて俯向《うつむ》いていた。彼女はさぞ嬉しかろう。貧乏であろうが、家柄が違おうが、そんなことはどうでもいい。彼女は自分の決めた男のところへ行くことが能るようになった。彼女は私生児の母とならずに済んだ。悲しい過去は夢となった。
私も「だいなし」に嬉しかった。
僅か二週間を私の家に送ったおたけは、こんな思い出を残して去った。
九 元園町の春
Sさん。郡部の方もだんだん開けて来るようですね。御宅の御近所も春は定めてお賑《にぎや》かいことでしょう。そこでお前の住んでいる元園町《もとぞのちょう》の春はどうだという御尋《おたず》ねでしたが、私共の方は昨今|却《かえ》ってあなたたちの方よりも寂
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