しい位で、御正月だからといって別に取立てて申上げるほどのこともないようです。しかし折角《せっかく》ですから少しばかり何か御通信申上げましょう。
この頃は正月になっても、人の心を高い空の果へ引揚げて行くような、長閑《のどか》な凧《たこ》のうなりは全然《まるで》聞かれなくなりました。往来の少い横町へ這入《はい》ると、追羽子《おいはご》の春めいた音も少しは聞えますが、その群の多くは玄関の書生さんや台所の女中さんたちで、お嬢さんや娘さんらしい人たちの立交っているのはあまり見かけませんから、門松を背景とした初春《はつはる》の巷《ちまた》に活動する人物としては、その色彩が頗《すこぶ》る貧しいようです。平手《ひらて》で板を叩くような皷《つづみ》の音をさせて、鳥打帽子を被《かぶ》った万歳《まんざい》が幾人《いくにん》も来ます。鉦《かね》や太皷《たいこ》を鳴らすばかりで何にも芸のない獅子舞も来ます。松の内|早仕舞《はやじまい》の銭湯におひねりを置いてゆく人も少いので、番台の三宝の上に紙包の雪を積み上げたのも昔の夢となりました。藪入《やぶいり》などは勿論ここらの一角《いっかく》とは没交渉で、新宿行の電車が満員の札をかけて忙がしそうに走るのを見て、太宗寺《たいそうじ》の御閻魔様《おえんまさま》の御繁昌を窃《ひそ》かに占うに過ぎません。
家々に飼犬が多いに引替えて、猫を飼う人は滅多《めった》にありません。家根伝いに浮かれあるく恋猫の痩せた姿を見るようなことは甚だ稀です。ただ折々に何処《どこ》からか野良猫がさまよって来ますが、この闖入者《ちんにゅうしゃ》は棒や箒《ほうき》で残酷に追い払われてしまいます。夜は静です、実に静です。支那の町のように宵から眠っているようです。八時か九時という頃には大抵の家は門戸を固くして、軒の電灯が白く凍った土を更に白く照しているばかりです。大きな犬が時々思い出したように、星の多い空を仰いで虎のように嘯《うそぶ》きます。ここらでただ一軒という寄席《よせ》の青柳亭《あおやぎてい》が看板の灯《ひ》を卸《おろ》す頃になると、大股に曳き摺って行くような下駄の音が一《ひ》としきり私の門前を賑わして、寄席帰りの書生さんの琵琶歌《びわうた》などが聞えます。跡《あと》はひっそり[#「ひっそり」に傍点]して、シュウマイ屋の唐人笛《とうじんぶえ》が高く低く、夜風にわななくような悲し
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