古もお午《ひる》ぎりで、わたくしもお隣りの家から借りて来た草双紙《くさぞうし》などを読んで半日を暮らしてしまいました。夕方になって、表へ水を撒いたりして、それから近所の銭湯へ行って帰って来ると、表はもう薄暗くなって、男の子供たちが泥だらけの草鞋《わらじ》をほうりながら横町で蝙蝠《こうもり》を追いまわしていました。粗相か悪戯《いたずら》か、時どきにその草鞋がわたくし共の顔へも飛んで来ますので、わたくしはなるべく往来のはしの方を通って、路地の口から裏口へまわりますと、表でさえも暗いのに、家のなかにはまだ燈火《あかり》もつけていないらしく、そこらには藪蚊《やぶか》の唸る声が頻りにきこえます。
「おや、おっかさんはいないのかしら。」
そう思いながら台所から上がりかかると、狭い庭にむかった横六畳の座敷に、女の話し声がきこえます。それは確かに会津屋の叔母の声で、なんだか泣いているらしいので、わたくしは思わず立ちどまりました。叔母が話しているようでは、母も家にいるに相違ありません。二人は何かの話に気を取られて行燈《あんどう》をつけるのも忘れて、暗いなかで小声で話しているのをみると、これはどうも唯事
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