》の尚書を勤める留《りゅう》という人が曾て西蔵《ちべっと》に駐在しているときに、何かの事で一人の紅教喇嘛に恨まれた。そこで、或る人が注意した。
「彼は復讐をするかも知れません。山登りのときには御用心なさい」
 留は山へ登るとき、輿や行列をさきにして、自分は馬に乗って後から行くと、果たして山の半腹に至った頃に、前列の馬が俄かに狂い立って、輿をめちゃめちゃに踏みこわした。輿は無論に空《から》であった。
 また、烏魯木斉に従軍の当時、軍士のうちで馬を失った者があった。一人の紅教喇嘛が小さい木の腰掛けをとって、なにか暫く呪文を唱えていると、腰掛けは自然にころころと転がり始めたので、その行くさきを追ってゆくと、ある谷間《たにあい》へ行き着いて、果たしてそこにかの馬を発見した。これは著者が親しく目撃したことである。
 案ずるに、西域《せいいき》に刀を呑み、火を呑むたぐいの幻術を善くする者あることは、前漢時代の記録にも見えている。これも恐らくそれらの遺術を相伝したもので、仏氏の正法《しょうほう》ではない。それであるから、黄教の者は紅教徒を称して、あるいは魔といい、あるいは波羅門《ばらもん》という。す
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