た。男は何者であるか、女は何者であるか、もとより判らない。一行のうちに弓をよく引く者があったので、向う岸の立ち木にむかって二本の矢を射込んで帰った。
あくる日、廻り路をして向う岸へ行き着いて、きのうの矢を目じるしに捜索すると、石の洞門は塵《ちり》に封じられていた。松明《たいまつ》をとって進み入ると、深さ四丈ばかりで行き止まりになってしまって、他には抜け路もないらしく、結局なんの獲《う》るところもなしに引き揚げて来た。
蔡はこの話をして、自分が烏魯木斉にあるあいだに目撃した奇怪の事件は、これをもって第一とすると言った。わたしにも判らないが、太平広記に、天人が飛天夜叉《ひてんやしゃ》を捕えて成敗する話が載せてある。飛天夜叉は美女である。蔡の見たのも或いはこの夜叉のたぐいであるかも知れない。
喇嘛教
喇嘛教《らまきょう》には二種あって、一を黄教といい、他を紅教といい、その衣服をもって区別するのである。黄教は道徳を講じ、因果を明らかにし、かの禅家《ぜんけ》と派を異《こと》にして源を同じゅうするものである。
但し紅教は幻術《げんじゅつ》を巧みにするものである。理藩院《りはんいん
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