よれば、逮捕の当時、斉大はまぐさ桶《おけ》の下に隠れていたというのであるが、捕手らの眼にはそれが見えなかった。まぐさ桶の下には古い竹束が転がっていただけであった。

   張福の遺書

 張福《ちょうふく》は杜林鎮《とりんちん》の人で、荷物の運搬を業としていた。ある日、途中で村の豪家の主人に出逢ったが、たがいに路を譲らないために喧嘩をはじめて、豪家の主人は従僕に指図して張を石橋の下へ突き落した。あたかも川の氷が固くなって、その稜《かど》は刃のように尖っていたので、張はあたまを撃ち割られて半死半生になった。
 村役人は平生からその豪家を憎んでいたので、すぐに官《かん》に訴えた。官の役人も相手が豪家であるから、この際いじめつけてやろうというので、その詮議が甚だ厳重になった。そのときに重態の張はひそかに母を豪家へつかわして、こう言わせた。
「わたしの代りにあなたの命を取っても仕方がありません。わたしの亡い後に、老母や幼な児の世話をして下さるというならば、わたしは自分の粗相《そそう》で滑り落ちたと申し立てます」
 豪家では無論に承知した。張はどうにか文字の書ける男であるので、その通りに書き残し
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