が、その味は普通の鳥と変ったこともなかった。その当座はいかなる不思議か判らなかった。
 然るにその鳥を得た家には、みな葬式が出ることになった。いわゆる凶※[#「煮」の「者」に代えて「(急−心)+攵」、第4水準2−79−86]《きょうさつ》が出現したのである。わたしの親戚の馬《ば》という家でも、その夜二羽の鴨を得たが、その歳に弟が死んだ。思うに、昔から喪に逢うものは無数である。しかもその夜にかぎって、特に凶兆を示したのはなんの訳か。そうして、その兆を示すために、鵝鴨《がおう》のたぐいを投げたのはなんの訳か。
 鬼神の所為《しょい》は凡人の知り得る事あり、知り得ざる事あり、ただその事実を録するのみで、議論の限りでない。

   節婦

 任士田《にんしでん》という人が話した。その郷里で、ある人が月夜に路を行くと、墓道の松や柏のあいだに二人が並び坐しているのを見た。
 ひとりは十六、七歳の可愛らしい男であった。他の女は白い髪を長く垂れ、腰をかがめて杖を持って、もう七、八十歳以上かとも思われた。
 この二人は肩を摺り寄せて何か笑いながら語らっている体《てい》、どうしても互いに惚れ合っているらしく見えたので、その人はひそかに訝《いぶか》って、あんな婆さんが美少年と媾曳《あいびき》をしているのかと思いながら、だんだんにその傍へ近寄ってゆくと、かれらのすがたは消えてしまった。
 次の日に、これは何人《なんびと》の墓であるかと訊《き》いてみると、某家の男が早死にをして、その妻は節を守ること五十余年、老死した後にここに合葬したのであることが判った。

   木偶の演戯

 わたしの先祖の光禄公《こうろくこう》は康煕《こうき》年間、崔荘《さいそう》で質庫《しちぐら》を開いていた。沈伯玉《ちんはくぎょく》という男が番頭役の司事を勤めていた。
 あるとき傀儡師《かいらいし》が二箱に入れた木彫りの人形を質入れに来た。人形の高さは一尺あまりで、すこぶる精巧に作られていたが、期限を越えてもつぐなわず、とうとう質流れになってしまった。ほかに売る先もないので、廃《すた》り物として空き屋のなかに久しく押し込んで置くと、月の明るい夜にその人形が幾つも現われて、あるいは踊り、あるいは舞い、さながら演劇《しばい》のような姿を見せた。耳を傾けると、何かの曲を唱えているようでもあった。
 沈は気丈の男であるので
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