、声をはげしゅうして叱り付けると、人形の群れは一度に散って消え失せた。翌日その人形をことごとく焚《や》いてしまったが、その後は別に変ったこともなかった。
 物が久しくなると妖をなす。それを焚けば精気が溶けて散じ、再び聚《あつ》まることが出来なくなる。また何か憑《よ》る所があれば妖をなす。それを焚けば憑る所をうしなう。それが物理の自然である。

   奇門遁甲

 奇門遁甲《きもんとんこう》の書というものが多く世に伝えられている。しかも皆まことの伝授でない。まことの伝授は口伝《くでん》の数語に過ぎないもので、筆や紙で書き伝えるのではない。
 徳《とく》州の宋清遠《そうせいえん》先生は語る。あるとき友達をたずねると、その友達は宋をとどめて一泊させた。
「今夜はいい月夜だから、芝居を一つお目にかけようか」
 そこで、橙《だいだい》の実十余個を取って堂下にころがして置いて、二人は堂にのぼって酒を飲んでいると、夜も二更《にこう》に及ぶころ、ひとりの男が垣を踰《こ》えて忍び込んで来たが、彼は堂下をぐるぐる廻りして、一つの橙に出逢うごとに、よろけて躓《つまず》いて、ようように跨《また》いで通るのであった。
 それが初めは順に進み、さらに曲がって行き、逆に行き、百回も二百回も繰り返しているうちに、彼は疲れ切って倒れ伏してしまった。やがて夜が明けたので、友達はその男を堂の上に連れて来て、おまえは何しに来たのかと詰問すると、彼はあやまり入って答えた。
「わたくしは泥坊でございます。お宅へ忍び込みますと、低い垣が幾重にも作られて居ります。それを幾たび越えても、越えても、果てしがないので、閉口して引っ返そうとしますと、帰る路にもたくさんの垣があって、幾たび越えても行き尽くせません。結局、疲れ果てて捕われることになりました。どうぞ御存分に願います」
 友達は笑って彼を放してやった。そうして、宋にむかって言った。
「きのうあの泥坊が来ることを占い知ったので、たわむれに小術を用いたのです」
「その術はなんですか」
「奇門の法です。他人が迂闊におぼえると、かえって禍いを招きます。あなたは謹直な人物である。もしお望みならば御伝授しましょうか」
 折角であるが、自分はそれを望まないと宋は断わった。友達は嘆息して言った。
「学ぶを願う者には伝うべからず、伝うべき者は学ぶを願わず。この術も終《つい》に絶え
前へ 次へ
全15ページ中14ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング