其の居を北の城楼へ移して、ふたたび殿中には立ち入らなかった。
張巡の妾
唐《とう》の安禄山《あんろくざん》が乱をおこした時、張巡《ちょうじゅん》は※[#「目+隹」、第3水準1−88−87]陽《すいよう》を守って屈せず、城中の食尽きたので、彼はわが愛妾を殺して将士に食《は》ましめ、城遂におちいって捕われたが、なお屈せずに敵を罵って死んだのは有名の史実で、彼は世に忠臣の亀鑑《きかん》として伝えられている。
それから九百余年の後、清《しん》の康煕《こうき》年間のことである。会稽《かいけい》の徐藹《じょあい》という諸生が年二十五で※[#「やまいだれ+「暇」のつくり」、第3水準1−88−51]《か》という病いにかかった。腹中に凝り固まった物があって、甚だ痛むのである。その物は腹中に在って人のごとくに語ることもあった。勿論、こういう奇病であるから、療治の効もなく、病いがいよいよ重くなったときに、一人の白衣を着た若い女がその枕元に立って、こんなことを言って聞かせた。
「あなたは張巡が妾を殺したことを御存じですか。あなたの前の世は張巡で、わたしはその妾であったのです。あなたが忠臣であるの
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