だじゅうに長い毛が生えていまして、手をこまぬいて突っ立っているのです。おまえは何者だと訊いても、返事をしません。
「これは海人《かいじん》というものです」と、漁師は言いました。「これが出ると必ず災いがあります。何かの事のないように、いっそ殺してしまいましょう」
「いや、これは神霊の物だ。みだりに殺すのは不吉である」
 姚は彼をゆるして、祈りました。
「お前がわたしのためにたくさんの魚をあたえて、職務を怠るの罪を免かれるようにしてくれれば、まことに神というべきである」
 毛だらけの黒い人間は、退いて水の上をゆくこと数十歩で沈んでしまいました。その明くる日からは例年に倍《ばい》する大漁でした。

   怪獣

 李遇《りぐう》が宣武《せんぶ》の節度使となっている時、その軍政は大将の朱従本《しゅじゅうほん》にまかせて置きました。朱の家には猴《さる》を飼ってありましたが、厩《うまや》の者が夜なかに起きて馬に秣《まぐさ》をやりに行くと、そこに異物を見ました。
 それは驢馬《ろば》のような物で、黒い毛が生えていました。しかも手足は人間のようで、大地に坐ってかの猴を食っているのでした。人の来たのを見て、かれは猴を捨てましたが、もう半分ほどは食われていました。
 その明くる年、李遇の一族は誅せられました。故老の話によると、郡中にはこの怪物が居りまして、軍部に何か異変のあるたびに、かれは姿をあらわします。それが出ると、城中いっぱいに忌《いや》な臭いがするそうです。反乱を起した田※[#「君+頁」、174−11]《でんいん》が敗れようとする時にも、かの怪物が街なかにあらわれて、夜警の者はそれを見つけましたが、恐れて近寄りませんでした。果たして一年を過ぎないうちに、田は敗れました。

   四足の蛇

 舒州《じょしゅう》の人が山にはいって大蛇を見たので、直ぐにそれを撃ち殺しました。よく見ると、その蛇には足があるので、不思議に思って背負って帰ると、途中で県の役人五、六人に逢いました。
「わたしは今この蛇を殺しましたが、蛇には四つの足があるのです」
 そう言われても、役人たちには蛇の形が見えないのです。
「その蛇はどこにいるのだ」
「いるではありませんか。これが見えないのですか」
 その人は蛇を地面に投げ出すと、役人たちは初めて蛇の形を見ました。その代りに、今度は蛇を見るばかりで、その人の形が見えなくなりました。なにかの怪物に相違ないというので、蛇はそのまま捨てて帰ったそうです。この蛇は生きているあいだに自分の形を隠すことが出来ず、死んでから人の形を隠すというのは、その理屈が判らないと著者も言っています。

   小奴

 天祐丙子《てんゆうひのえね》の年、浙西《せっせい》の軍士|周交《しゅうこう》が乱をおこして、大将の秦進忠《しんしんちゅう》をはじめ、張胤《ちょういん》ら十数人を殺しました。
 秦進忠は若い時、なにかの事で立腹して、小さい奴《しもべ》を殺しました。刃《やいば》をその心《むね》に突き透したのでした。その死骸は埋めてしまって年を経たのですが、末年になってかの小奴《しょうど》がむねを抱えて立っている姿を見るようになりました。初めは百歩を隔てていましたが、後にはだんだんに近寄って来ました。
 乱のおこる日も、いま家を出ようとする時、馬の前に小奴が立っているのを、左右の人びともみな見ました。役所へ出ると右の騒動で、彼は乱兵のために胸を刺されて死にました。
 同時に殺された張胤は、ひと月ほど前から自分の姓名を呼ぶ者があります。勿論その姿は見えませんが、声は透き通ったような強いひびきで、これも初めは遠く、後にはだんだんに近く、当日はわが面前にあるようにきこえましたが、役所へ出ると直ぐに討たれました。

   楽人

 建康《けんこう》に二人の楽人《がくじん》がありまして、日が暮れてから町へ出ますと、二人の僕《しもべ》らしい男に逢いました。
「陸判官《りくはんがん》がお招きです」
 招かれるままに付いてゆくと、大きい邸宅へ連れ込まれました。座敷の装飾や料理の献立《こんだて》なども大そう整っていまして、来客は十人あまり、みな善く酒を飲みました。楽人らは一生懸命に楽を奏していると、もう酒には飽きたから食うことにすると言い出しました。しかも自分たちが飲んだり食ったりするばかりで、楽人らにはなんにも宛《あて》がわないのです。
 夜がしらじらと明ける頃に、この宴会は果てましたが、楽人らはもう疲れ切って、門外の床の上にころがって正体なしに眠りました。眼が醒めると、二人は草のなかに寝ているのでした。そばには大きい塚がありました。
 土地の人に訊《き》くと、これは昔から陸判官の塚と言い伝えられているが、いつの時代の人だかわからないということでした。

   餅二枚

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