霍丘《かくきゅう》の令を勤めていた周潔《しゅうけつ》は、甲辰《こうしん》の年に役を罷《や》めて淮上《わいしょう》を旅行していました。
その頃、ここらの地方は大|饑饉《ききん》で、往来の旅人《りょじん》もなく、宿を仮《か》るような家もありませんでした。高いところへ昇って見渡すと、遠い村落に烟りのあがるのが見えたので、急いでそこへたずねて行くと、一軒の田舎家《いなかや》が見いだされました。
門を叩くと、やや暫くして一人の娘が出て来ました。周は泊めてもらいたいと頼むと、娘は言いました。
「家《うち》じゅうの者は饑餓に迫り、老人も子供もみな煩らっていますので、お気の毒ですがお客人をお通し申すことが出来ません。ただ中堂に一つの榻《とう》がありますから、それでよろしければお寝《やす》みください」
周はそこへ入れてもらいますと、娘はその前に立っていました。やがて妹娘も出て来ましたが、姉のうしろに隠れていてその顔を見せませんでした。周は自分が携帯の食事をすませて、女たちにも餅二つをやりました。
二人の女はその餅を貰って、自分たちの室《へや》へ帰りましたが、その後は人声もきこえず、物音もせず、家内が余りに森閑《しんかん》としているので、周はなんだかぞっ[#「ぞっ」に傍点]としたような心持になりました。夜があけて、暇乞いをして出ようと思いましたが、いくら呼んでも返事をする者がありません。
いよいよ不思議に思って、戸を壊《くず》してはいってみると、家内にはたくさんの死体が重なっていて、大抵はもう骸骨になりかかっていました。そのなかで、女の死体は死んでから十日《とおか》を越えまいと思われました。妹の顔はもう骨になっていました。ゆうべの二枚の餅はめいめいの胸の上に乗せてありました。
周は後に、かれらの死体をみな埋葬してやったそうです。
鬼兄弟
軍将の陳守規《ちんしゅき》は何かの連坐《まきぞえ》で信州へ流されて、その官舎に寓居することになりました。この官舎は昔から凶宅と呼ばれていましたが、陳が来ると直ぐに鬼物《きぶつ》があらわれました。
鬼《き》は昼間でも種々の奇怪な形を見せて変幻出没するのでした。しかも陳は元来剛猛な人間であるのでちっとも驚かず、みずから弓矢や刀を執って鬼と闘いました。それが暫く続いているうちに、鬼は空ちゅうで語りました。
「わたしは鬼神であるから、人間と雑居するのを好まないのである。しかし君は堅固な人物であるから、兄分として交際したいと思うが、どうだな」
「よろしい」と、陳も承知しました。
その以来、陳と鬼とは兄弟分の交際を結ぶことになりました。何か吉凶のことがあれば、鬼がまず知らせてくれる。鬼が何か飲み食いの物を求めれば、陳があたえる。鬼の方からも銭や品物をくれる。しかし長い間には、陳もその交際が面倒になって来ました。そこで、ある道士にたのんで、訴状をかいて上帝に捧げました。鬼の退去を出願したのです。
すると、その翌日、鬼は大きい声で呶鳴りました。
「おれはお前と兄弟分になったのではないか。そのおれを何で上帝に訴えたのだ。男同士の義理仁義はそんなものではあるまい」
「そんな覚えはない」と、陳は言いました。
嘘をつけとばかりに、空中から陳の訴状を投げ付けて、鬼はまた罵りました。
「お前はおれの居どころがないと思っているのだろうが、おれは今から蜀川《しょくせん》へ行く。二度とこんな所へ来るものか」
鬼はそれぎりで跡を絶ったそうです。
底本:「中国怪奇小説集」光文社
1994(平成6)年4月20日第1刷発行
※校正には、1999(平成11)年11月5日3刷を使用しました。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2003年7月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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