中国怪奇小説集
稽神録
岡本綺堂
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)宋《そう》に
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二十|杖《じょう》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)李※[#「日+方」、第3水準1−85−13]《りぼう》
−−
第七の女は語る。
「五代を過ぎて宋《そう》に入りますと、まず第一に『太平広記』五百巻という大物がございます。但しこれは宋の太宗《たいそう》の命によって、一種の政府事業として李※[#「日+方」、第3水準1−85−13]《りぼう》らが監修のもとに作られたもので、汎《ひろ》く古今の小説伝奇類を蒐集したのでありますから、これを創作と認めるわけには参りません。そこで、わたくしは自分の担任として『稽神録』について少々お話をいたしたいと存じます。『稽神録』の作者は徐鉉《じょげん》であります。徐鉉は五代の当時、南唐に仕えて金陵《きんりょう》に居りましたが、南唐が宋に併合されると共に、彼も宋朝に仕うる人となって、かの『太平広記』編集者の一人にも加えられて居ります。兄弟ともに有名の学者で、兄の徐鉉を大徐、弟の徐※[#「金+皆」、第4水準2−91−14]《じょかい》を小徐と言い伝えているそうでございます。女のくせに、知ったか振りをいたすのは恐れ入りますから、前置きはこのくらいにして、すぐに本文《ほんもん》に取りかかることに致します」
廬山の廟
庚寅《こういん》の年、江西の節度使の徐知諫《じょちかん》という人が銭《ぜに》百万をもって廬山使者の廟《びょう》を修繕することになりました。そこで、潯陽《じんよう》の県令が一人の役人をつかわして万事を取扱わせると、その役人は城中へはいって、一人の画工を召出して、自分と一緒に連れて行きました。
画工は画《え》の具その他をたずさえて、役人に伴われて行きますと、どういうわけか、城の門を出る頃からその役人はただ昏々《こんこん》として酔えるが如きありさまで、自分の腰帯をはずして地に投げ付けたりするのです。
「この人は酔っているのだな」と、画工は思いました。
そこで忤《さか》らわずに付いてゆくと、役人はやがてまた、着物をぬぎ、帽子をぬぐという始末で、山へ登る頃にはほとんど赤裸《あかはだか》になってしまいました。そうして、廟に近い渓川《たにがわ》のほとりまで登って来ますと、一人の卒《そつ》が出て参りました。卒は青い着物をきて、白い皮で膝を蔽っていましたが、つかつかと寄って来て、かの役人を捕えるのです。
「この人は酔っているのですから、どうぞ御勘弁を……」
こう言って、画工が取りなすと、卒は怒って叱り付けました。
「おまえ達に何がわかるか。黙っていろ」
卒は遂に彼を捕虜《とりこ》にして、川のなかに坐らせました。その様子が唯《ただ》の人らしくないと思ったので、画工は走って廟中の人びとに訴えると、大勢が出て来ました。見ると、卒の姿はいつか消え失せて、役人だけが水のなかに坐っているのです。声をかけても返事がないので、更によく見ると、彼はもう死んでいるのでした。あとになって帳簿を調べてみると、彼は修繕の銭百万の半分以上を着服《ちゃくふく》していることが判りました。
夢に火を吹く
張易《ちょうえき》という人が洛陽にいた時に、劉《りゅう》なにがしと懇意になりました。劉は仕官もせずに暮らしている男でしたが、すこぶる奇術を善くするのでした。
ある時、劉が町の人に銀を売ると、その人は満足に値《あた》いを支払わないのです。そこで、劉は張と連れ立ってその催促にゆくと、彼はそれを素直に支払わないばかりか、種々の難癖《なんくせ》をつけて逆捻《さかね》じに劉を罵りました。劉は黙ってそのまま帰って来ましたが、あとで張に話しました。
「彼は愚人で道理を識らないから、私がすこしく懲らしてやります。さもないと、土地の神霊のために重い罰を受けるようになりますから、彼を懲らすのは彼を救うがためです」
どんな事をするのかと見ていると、劉はその晩、燈火《あかり》を消した後、自分の寝床の前に炭火をさかんにおこして、なにか一種の薬を焼きました。張は寝た振りをして窺っていると、暗いなかに一人の男があらわれて、頻《しき》りにその火を吹いています。よく見ると、それはかの町の人でありました。彼は夜の明けるまで火を吹きつづけて、その姿はいつか消え失せてしまいました。
その後に、張が町の人の家をたずねると、彼はひどく弱っていました。
「どうも不思議な目に逢いました。このあいだの晩、夢のうちに誰かが来てわたくしを何処へか連れて行って、夜通し火を吹かせられましたが、しま
次へ
全6ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング