えなければ、仏の姿を拝むことは出来ない」
 集まっている男女はあらそって百余万銭を供えると、彼はさきに埋めたところを掘り起して、一体の仏像を示した。その噂が四方に伝わって、それを拝ませてくれという者が多くなると、彼はまた宣言した。
「尊い御仏を拝むと、万病が本復《ほんぷく》する」
 その計略成就して、数百里のあいだの老若男女《ろうにゃくなんにょ》がみな集まった。そこで、紫や緋《ひ》や黄の綾絹《あやぎぬ》をもって幾重にも仏像をつつみ、拝む者があれば先ずその一重を剥《は》いで見せる。一回の布施が十万銭、その正体を拝むまでには幾十万銭に及ぶのであった。
 こんな詭計《きけい》を用いているうちに、一、二年の後には土地の者がみな彼に帰伏した。彼は遂に乱をおこして、みずから光王《こうおう》と称し、もろもろの官職を設け、長吏《ちょうり》を置き、諸国の禍いをなすこと数年に及んだので、朝廷は将軍|程務挺《ていむてい》に命じてこれを討たしめ、かれらをほろぼして光王を斬った。[#地から1字上げ](朝野僉載)

   孝子

 東海に郭純《かくじゅん》という孝子があった。母を喪《うしな》って彼は大いに哭《こく
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