を照らさず、その鏡を取って再び水中に投げ込んでしまった。彼は倒れている人びとを介抱して我が家へ帰ったが、あれは確かに妖怪であろうと言い合った。
 あくる日もつづいて漁に出ると、きょうは網に入る魚が平日の幾倍であった。漁師のうちで平生から持病のある者もみな全快した。故老の話によると、その鏡は河や湖水のうちに在って、数百年に一度あらわれるもので、これまでにも見た者がある。しかもそれが何の精であるかを知らないという。[#地から1字上げ](同上)

   仏像

 白鉄余《はくてつよ》は延州《えんしゅう》の胡人《こじん》(西域《せいいき》の人)である。彼は邪道をもって諸人を惑わしていたが、深山の柏の樹の下に銅《あかがね》の仏像を埋め、その後数年、そこに草が生えたのを見すまして、土地の人びとを欺《あざむ》いた。
「昨夜わたしが山の下を通ると、仏のひかりを見た。日をさだめて精進潔斎《しょうじんけっさい》をして、尊い御仏《みほとけ》を迎えることにしたい」
 定めの日に数百人をあつめて、ここらという所を掘りかえしたが、仏は見付からなかった。彼はまた言った。
「諸人が誠心をささげて布施物《ふせもつ》を供
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