えなければ、仏の姿を拝むことは出来ない」
 集まっている男女はあらそって百余万銭を供えると、彼はさきに埋めたところを掘り起して、一体の仏像を示した。その噂が四方に伝わって、それを拝ませてくれという者が多くなると、彼はまた宣言した。
「尊い御仏を拝むと、万病が本復《ほんぷく》する」
 その計略成就して、数百里のあいだの老若男女《ろうにゃくなんにょ》がみな集まった。そこで、紫や緋《ひ》や黄の綾絹《あやぎぬ》をもって幾重にも仏像をつつみ、拝む者があれば先ずその一重を剥《は》いで見せる。一回の布施が十万銭、その正体を拝むまでには幾十万銭に及ぶのであった。
 こんな詭計《きけい》を用いているうちに、一、二年の後には土地の者がみな彼に帰伏した。彼は遂に乱をおこして、みずから光王《こうおう》と称し、もろもろの官職を設け、長吏《ちょうり》を置き、諸国の禍いをなすこと数年に及んだので、朝廷は将軍|程務挺《ていむてい》に命じてこれを討たしめ、かれらをほろぼして光王を斬った。[#地から1字上げ](朝野僉載)

   孝子

 東海に郭純《かくじゅん》という孝子があった。母を喪《うしな》って彼は大いに哭《こく》した。その哭するごとに、鳥の群れがたくさん集まって来るのである。官から使者を派して取調べさせると、果たしてその通りであったので、彼は孝子として村の入口に表彰された。
 後に聞くと、この孝子は哭するごとに、地上に餅を撒《ま》き散らして鳥にあたえた。それが幾たびも続いたので、その泣き声を聞きつけると、鳥の群れは餅を拾うために集まって来たのであった。[#地から1字上げ](同上)

   壁龍

 柴紹《さいしょう》の弟なにがしは身も軽く、足も捷《はや》く、どんな所へでも身を躍らせてのぼるばかりか、十余歩ぐらいは飛んで行った。
 唐の太宗《たいそう》皇帝が彼に命じて長孫無忌《ちょうそんむき》(太宗の重臣)の鞍を取って来いと言った。同時に無忌にも内報して、取られないように警戒しろと注意した。その夜、鳥のようなものが無忌の邸内に飛び込んで、二つの鞍を二つに切って持ち去った。それ逃がすなと追いかけたが、遂に捉え得なかった。
 帝はまたかれに命じて丹陽公主《たんようこうしゅ》(公主=皇女)の枕を取って来いと言った。それは金をちりばめた函《はこ》付きの物である。かれは夜半にその寝室へ忍び入って、手をも
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