言い捨てて出たままで、彼女はかさねて帰らなかった。それから時を移しても、赤児《あかご》の啼く声がちっとも聞えないので、崔は怪しんでうかがうと、赤児もまた殺されていた。
その子を殺したのは、のちの思いの種を断つためであろう。昔の侠客もこれには及ばない。[#地から1字上げ](原化記)
霊鏡
唐の貞元年中、漁師十余人が数|艘《そう》の船に小網を載せて漁に出た。蘇州《そしゅう》の太湖が松江《しょうこう》に入るところである。
網をおろしたがちっとも獲物《えもの》はなかった。やがて網にかかったのは一つの鏡で、しかもさのみに大きい物でもないので、漁師はいまいましがって水に投げ込んだ。それから場所をかえて再び網をおろすと、又もやかの鏡がかかったので、漁師らもさすがに不思議に思って、それを取り上げてよく視ると、鏡はわずかに七、八寸であるが、それに照らすと人の筋骨《きんこつ》から臓腑《ぞうふ》まではっきりと映ったので、最初に見た者はおどろいて気絶した。
ほかの者も怪しんで鏡にむかうと、皆その通りであるので、驚いて倒れる者もあり、嘔吐《はきけ》を催す者もあった。最後の一人は恐れて我が姿を照らさず、その鏡を取って再び水中に投げ込んでしまった。彼は倒れている人びとを介抱して我が家へ帰ったが、あれは確かに妖怪であろうと言い合った。
あくる日もつづいて漁に出ると、きょうは網に入る魚が平日の幾倍であった。漁師のうちで平生から持病のある者もみな全快した。故老の話によると、その鏡は河や湖水のうちに在って、数百年に一度あらわれるもので、これまでにも見た者がある。しかもそれが何の精であるかを知らないという。[#地から1字上げ](同上)
仏像
白鉄余《はくてつよ》は延州《えんしゅう》の胡人《こじん》(西域《せいいき》の人)である。彼は邪道をもって諸人を惑わしていたが、深山の柏の樹の下に銅《あかがね》の仏像を埋め、その後数年、そこに草が生えたのを見すまして、土地の人びとを欺《あざむ》いた。
「昨夜わたしが山の下を通ると、仏のひかりを見た。日をさだめて精進潔斎《しょうじんけっさい》をして、尊い御仏《みほとけ》を迎えることにしたい」
定めの日に数百人をあつめて、ここらという所を掘りかえしたが、仏は見付からなかった。彼はまた言った。
「諸人が誠心をささげて布施物《ふせもつ》を供
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