がむかしの罪を覚えていられるかどうかは知りませんが、わたくしとしては王君に殺されるのが当然のことで、自分も覚悟しています」
 太守はその報告を聞いて驚嘆していると、士真は酒の酔いが醒めて、すぐに李の首を斬って来いと命令した。太守は命乞いをするすべもなくて、その言うがままに李の首を渡すと、彼はその首をみてこころよげに笑っていた。
「自分の部下にかような罪人をいだしましたのは、わたくしが重々の不行き届きでございますが、一体かれはどういうことで御機嫌を損じたのでございましょうか」と、太守はさぐるように訊いてみた。
「いや、別に罪はない」と、士真は言った。「ただその顔をみるとなんだか無暗《むやみ》に憎くなって、とうとう殺す気になったのだ。それがなぜであるかは自分にもよく判《わか》らない。もう済んでしまったことだから、その話は止そうではないか」
 彼自身にもはっきりした説明が出来ないらしかった。太守はさらに士真の年を訊くと、彼はあたかも三十七歳であることが判ったので、李の懺悔の嘘ではないのがいよいよ確かめられた。

   黒犬

 唐の貞元年中、大理評事《だいりひょうじ》を勤めている韓《かん》と
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