いう人があって、西河《せいか》郡の南に寓居していたが、家に一頭の馬を飼っていた。馬は甚だ強い駿足《しゅんそく》であった。
ある朝早く起きてみると、その馬は汗をながして、息を切って、よほどの遠路をかけ歩いて来たらしく思われるので、厩《うまや》の者は怪しんで主人に訴えると、韓は怒った。
「そんないい加減のことを言って、実は貴様がどこかを乗り廻したに相違あるまい。主人の大切の馬を疲らせてどうするのだ」
韓はその罰として厩の者を打った。いずれにしても、厩を守る者の責任であるので、彼はおとなしくその折檻《せっかん》を受けたが、明くる朝もその馬は同じように汗をながして喘《あえ》いでいるので、彼はますます不思議に思って、その夜は隠れてうかがっていると、夜がふけてから一匹の犬が忍んで来た。それは韓の家に飼っている黒犬であった。犬は厩にはいって、ひと声叫んで跳《おど》りあがるかと思うと、忽ちに一人の男に変った。衣服も冠もみな黒いのである。かれは馬にまたがって傲然《ごうぜん》と出て行ったが、門は閉じてある、垣は甚だ高い。かれは馬にひと鞭《むち》くれると、駿馬《しゅんめ》は跳《おど》って垣を飛び越えた。
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