いることが出来ても、とても二度と行く気にはなれないので、誰も彼も早々に引き揚げて来ました。その以来、わたくしどもは誓って墓荒しをしないことに決めました。あの時のことを考えると、今でも怖ろしくてなりません」
 この話はこれで終りであるが、そのほかにも墓を発《あば》いて種々の不思議に出逢った話はたくさんに言い伝えられている。
 近い頃、幾人の盗賊が蜀《しょく》の玄徳《げんとく》の墓をあばきにはいると、内には二人の男が燈火《あかり》の下で碁を打っていて、ほかに侍衛の軍人が十余人も武器を持って控えていたので、盗賊どももおどろいて謝まり閉口すると、碁にむかっていた一人が見かえって、おまえ達は酒をのむかと言い、めいめいに一杯の酒を飲ませた上に、玉の腰帯ひとすじずつを呉れたので、盗賊どもは喜んで出て来ると、かれらの口は漆を含んだように閉じられてしまった。帯と思ったのは巨《おお》きい蛇であった。

   王申の禍

 唐の貞元《ていげん》年間のことである。望苑《ぼうえん》駅の西に王申《おうしん》という百姓が住んでいた。
 彼は奇特《きどく》の男で、路ばたにたくさんの楡《にれ》の木を栽《う》えて、日蔭に
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