《だんし》は字《あざな》を光明《こうめい》といい、すこぶる嫉妬ぶかい婦人であった。
 伯玉は常に洛神《らくしん》の賦《ふ》を愛誦して、妻に語った。
「妻を娶《めと》るならば、洛神のような女が欲しいものだ」
「あなたは水神を好んで、わたしをお嫌いなさるが、わたしとても神になれないことはありません」
 妻は河に投身して死んだ。それから七日目の夜に、彼女は夫の夢にあらわれた。
「あなたは神がお好きだから、わたしも神になりました」
 伯玉は眼が醒めて覚《さと》った。妻は自分を河へ連れ込もうとするのである。彼は注意して、その一生を終るまで水を渡らなかった。
 以来その河を妬婦津《とふしん》といい、ここを渡る女はみな衣裳をつくろわず、化粧を剥《は》がして渡るのである。美服美粧して渡るときは、たちまちに風波が起った。ただし醜《みにく》い女は粧飾して渡っても、神が妬《ねた》まないと見えて無事であった。そこで、この河を渡るとき、風波の難に逢わない者は醜婦であるということになるので、いかなる醜婦もわざと衣服や化粧を壊して渡るのもおかしい。
 斉の人の諺《ことわざ》に、こんなことがある。
「よい嫁を貰おうと
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