もは、みな争ってそれを焼き消してしまった。
また、元和の末年に李夷簡《りいかん》という人が蜀《しょく》の役人を勤めていたとき、蜀の町に住む趙高《ちょうこう》という男は喧嘩を商売のようにしている暴《あば》れ者で、それがために幾たびか獄屋に入れられたが、彼は背中一面に毘沙門天《びしゃもんてん》の像を彫っているので、獄吏もその尊像を憚《はばか》って杖をあてることが出来ない。それを幸いにして、彼はますますあばれ歩くのである。
「不埒至極の奴だ。毘沙門でもなんでも容赦するな」
李は彼を引っくくらせて役所の前にひき据え、新たに作った筋金《すじがね》入りの杖で、その背中を三十回余も続けうちに撃ち据えさせた。それでも彼は死なないで無事に赦し還された。
これでさすがに懲りるかと思いのほか、それから十日ほどの後、趙は肌ぬぎになって役所へ呶鳴り込んで来た。
「ごらんなさい。あなた方のおかげで毘沙門天の御尊像が傷だらけになってしまいました。その修繕をしますから、相当の御寄進《ごきしん》をねがいます」
李が素直にその寄進に応じたかどうかは、伝わっていない。
朱髪児
厳綬《げんじゅ》が治めてい
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