その髑髏が墜《お》ちなければ、化けて人となると言い伝えられている。
 劉元鼎《りゅうげんてい》が蔡州《さいしゅう》を治めているとき、新破《しんぱ》の倉場《そうじょう》に狐があばれて困るので、劉は捕吏《ほり》をつかわして狐を生け捕らせ、毎日それを毬場《まりば》へ放して、犬に逐《お》わせるのを楽しみとしていた。こうして年を経るうちに、百数頭を捕殺した。
 後に一頭の疥《かさ》のある狐を捕えて、例のごとく五、六頭の犬を放したが、犬はあえて追い迫らない。狐も平気で逃げようともしない。不思議に思って大将の家の猟狗《かりいぬ》を連れて来た。監軍《かんぐん》もまた自慢の巨犬を牽《ひ》いて来たが、どの犬も耳を垂れて唯その狐を取り巻いているばかりである。暫くすると、狐は跳《おど》って役所の建物に入り、さらに脱け出して城の墻《かき》に登って、その姿は見えなくなった。
 劉はその以来、狐を捕らせない事にした。道士の術のうちに天狐の法というのがある。天狐は九尾で金色で、日月宮に使役《しえき》されているのであるという。

   妬婦津

 伝えて言う、晋の大始《たいし》年中、劉伯玉《りゅうはくぎょく》の妻|段氏《だんし》は字《あざな》を光明《こうめい》といい、すこぶる嫉妬ぶかい婦人であった。
 伯玉は常に洛神《らくしん》の賦《ふ》を愛誦して、妻に語った。
「妻を娶《めと》るならば、洛神のような女が欲しいものだ」
「あなたは水神を好んで、わたしをお嫌いなさるが、わたしとても神になれないことはありません」
 妻は河に投身して死んだ。それから七日目の夜に、彼女は夫の夢にあらわれた。
「あなたは神がお好きだから、わたしも神になりました」
 伯玉は眼が醒めて覚《さと》った。妻は自分を河へ連れ込もうとするのである。彼は注意して、その一生を終るまで水を渡らなかった。
 以来その河を妬婦津《とふしん》といい、ここを渡る女はみな衣裳をつくろわず、化粧を剥《は》がして渡るのである。美服美粧して渡るときは、たちまちに風波が起った。ただし醜《みにく》い女は粧飾して渡っても、神が妬《ねた》まないと見えて無事であった。そこで、この河を渡るとき、風波の難に逢わない者は醜婦であるということになるので、いかなる醜婦もわざと衣服や化粧を壊して渡るのもおかしい。
 斉の人の諺《ことわざ》に、こんなことがある。
「よい嫁を貰おうと思ったら、妬婦津の渡し場に立っていろ。渡る女のよいか醜いかは自然にわかる」

   悪少年

 元和《げんな》の初年である。都の東市に李和子《りわし》という悪少年があって、その父を努眼《どがん》といった。和子は残忍の性質で、常に狗《いぬ》や猫を掻っさらって食い、市中の害をなす事が多かった。
 彼が鷹《たか》を臂《ひじ》に据えて往来に立っていると、紫の服を着た男二人が声をかけた。
「あなたは李努眼の息子さんで、和子という人ではありませんか」
 和子がそうだと答えて会釈《えしゃく》すると、二人はまた言った。
「少し子細《しさい》がありますから、人通りのない所で話しましょう」
 五、六歩さきの物蔭へ連れ込んで、われわれは冥府の使いであるから一緒に来てくれと言ったが、和子はそれを信じなかった。
「おまえ達は人間ではないか。なんでおれを欺《だま》すのだ」
「いや、われわれは鬼《き》である」
 ひとりがふところを探って一枚の諜状を取り出した。印《いん》の痕もまだあざやかで、李和子の姓名も分明にしるしてあった。彼に殺された犬猫四百六十頭の訴えに因って、その罪を論ずるというのである。
 和子も俄かにおどろき懼《おそ》れて、臂の鷹をすてて拝礼し、その上にこう言った。
「わたくしも死を覚悟しました。しかしちっとのあいだ猶予して、わたくしに一杯飲ませてください」
 あなた方にも飲ませるからと言って、無理に勧《すす》めてそこらの店屋へ案内したが、二人は鼻を掩《おお》うてはいらない。さらに杜《と》という相当の料理屋へ連れ込んだが、二人のすがたは他人に見えず、和子が独りで何か話しているので、気でも違ったのではないかと怪しまれた。彼は九碗の酒を注文して、自分が三碗を飲み、余の六碗を西の座に据えて、なんとか助けてもらう方便はあるまいかと頼んだ。
 二人は顔をみあわせた。
「われわれも一酔の恩を受けたのであるから、なんとか取り計らうことにしましょう。では、ちょっと行って来るから待っていて下さい」
 出て行ったかと思うと、二人は又すぐに帰って来た。
「君が四十万の銭《ぜに》をわきまえるならば、三年の命を仮《か》すことにしましょう」
 和子は承諾して、あしたの午《うま》の刻までにその銭を調えることに約束した。二人は酒の代を払った上に、その酒を和子に返した。で、彼は試みに飲んでみると、その味は水のごとくで
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