もは、みな争ってそれを焼き消してしまった。
また、元和の末年に李夷簡《りいかん》という人が蜀《しょく》の役人を勤めていたとき、蜀の町に住む趙高《ちょうこう》という男は喧嘩を商売のようにしている暴《あば》れ者で、それがために幾たびか獄屋に入れられたが、彼は背中一面に毘沙門天《びしゃもんてん》の像を彫っているので、獄吏もその尊像を憚《はばか》って杖をあてることが出来ない。それを幸いにして、彼はますますあばれ歩くのである。
「不埒至極の奴だ。毘沙門でもなんでも容赦するな」
李は彼を引っくくらせて役所の前にひき据え、新たに作った筋金《すじがね》入りの杖で、その背中を三十回余も続けうちに撃ち据えさせた。それでも彼は死なないで無事に赦し還された。
これでさすがに懲りるかと思いのほか、それから十日ほどの後、趙は肌ぬぎになって役所へ呶鳴り込んで来た。
「ごらんなさい。あなた方のおかげで毘沙門天の御尊像が傷だらけになってしまいました。その修繕をしますから、相当の御寄進《ごきしん》をねがいます」
李が素直にその寄進に応じたかどうかは、伝わっていない。
朱髪児
厳綬《げんじゅ》が治めていた太原《たいげん》市中の出来事である。
町の小児《しょうに》らが河に泳いでいると、或る物が中流をながれ下って来たので、かれらは争ってそれを拾い取ると、それは一つの瓦の瓶《かめ》で、厚い帛《きぬ》をもって幾重《いくえ》にも包んであった。岸へ持って来て打ち毀《こわ》すと、瓶のなかからは身のたけ一尺ばかりの赤児《あかご》が跳《おど》り出したので、小児らはおどろき怪しんで追いまわすと、たちまち足もとに一陣の旋風が吹き起って、かの赤児は地を距《さ》る数尺の空を踏みながら、再び水中へ飛び去ろうとした。
岸に居あわせた船頭がそれを怪物とみて、棹《さお》をとって撃ち落すと、赤児はそのまま死んでしまったが、その髪は朱のように赤く、その眼は頭の上に付いていた。
人面瘡《じんめんそう》
数十年前のことである。江東《こうとう》の或る商人《あきんど》の左の二の腕に不思議の腫物《しゅもつ》が出来た。その腫物は人の面《かお》の通りであるが、別になんの苦痛もなかった。ある時たわむれに、その腫物の口中へ酒をそそぎ入れると、残らずそれを吸い込んで、腫物の面《かお》は、酔ったように赤くなった。食い物をあたえると、大抵の物はみな食った。あまりに食い過ぎたときには、二の腕の肉が腹のようにふくれた。なんにも食わせない時には、その臂《ひじ》がしびれて働かなかった。
「試みにあらゆる薬や金石草木のたぐいを食わせてみろ」と、ある名医が彼に教えた。
商人はその教えの通りに、あらゆる物を与えると、唯ひとつ貝母《ばいぼ》という草に出逢ったときに、かの腫物は眉をよせ、口を閉じて、それを食おうとしなかった。
「占めた。これが適薬だ」
彼は小さい葦《よし》の管《くだ》で、腫物の口をこじ明けて、その管から貝母の搾《しぼ》り汁をそそぎ込むと、数日の後に腫物は痂《か》せて癒った。
油売
都の宣平坊《せんぺいぼう》になにがしという官人が住んでいた。彼が夜帰って来て横町へはいると、油を売る者に出逢った。
その油売りは大きい帽をかぶって、驢馬《ろば》に油桶をのせていたが、官人のゆく先に立ったままで路を避けようともしないので、さき立ちの従者がその頭を一つ引っぱたくと、頭はたちまちころりと落ちた。そうして、路ばたにある大邸宅の門内にはいってしまった。
官人は不思議に思って、すぐにその跡を付けてゆくと、かれのすがたは門内の大きい槐《えんじゅ》の下に消えた。いよいよ怪しんで、その邸の人びとにも知らせた上で、試みにかの槐の下を五、六尺ほど掘ってみると、その根はもう枯れていて、その下に畳一枚ほどの大きい蝦蟆《がま》がうずくまっているのを発見した。蝦蟆は銅で作られた太い筆筒《ふでづつ》二本をかかえ、その筒のなかには樹の汁がいっぱいに流れ込んでいた。又そのそばには大きい白い菌《きのこ》が泡を噴いていて、菌の笠は落ちているのであった。
これで奇怪なる油売りの正体は判った。
菌は人である。蝦蟆は驢馬である。筆筒は油桶である。この油売りはひと月ほども前から城下の里へ売りに来ていたもので、それを買う人びとも品がよくて価《あたい》の廉《やす》いのを内々不思議に思っていたのであるが、さてその正体があらわれると、その油を食用に供《きょう》した者はみな煩《わずら》い付いて、俄かに吐いたり瀉《くだ》したりした。
九尾狐
むかしの説に、野狐《のぎつね》の名は紫狐《しこ》といい、夜陰《やいん》に尾を撃《う》つと、火を発する。怪しい事をしようとする前には、かならず髑髏《どくろ》をかしらに戴いて北斗星を拝し、
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